後ろ姿も遠くなった名残の夏の日差しに、少し寂しそうに鳴く蝉の声が聞こえた午後でした。
暦はすでに深秋、秋分(しゅうぶん・9月23日)を迎えようとしています。 昼と夜がほぼ同じになる日で、ここから夜が長くなります。秋の深まりの入り口です。
七十二候では、夏の雷はおさまり空が高く澄んでくる頃、雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ・9月23日~27日頃)。
虫たちが土に入り、冬ごもりの支度を始める頃、蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ・9月28日~10月2日頃)。
田圃の水を抜き、稲刈りの準備をする頃、水始涸(みずはじめてかる・10月3日~7日頃)。 いずれも、夏のざわめきがしずまり、秋の気配が深まる季節の変化を表す候です。
少しずつ夜の時間が長くなり、気づくと夜の帳が降り、あたりの静寂に驚いたり、夕風に思い出ごとをしたりと、 自然が静けさへ向かっていることに気づく時期です。
そんな時、私たちの心身も小さな揺らぎを感じやすくなります。 気温差による自律神経の乱れ、空気の乾きによる肌の不安定さ、そして「もの想う秋」と言われるように心が敏感になり、
理由のない不安や沈む気持ちになりやすい季節です。

そんな小さな揺らぎに寄り添う香りがローズです。 ローズの香りは、乾き始める空気に潤いを添え、静けさの中に秘めた深秋の華やかさを引き出し、
揺らぎを受け止めてくれるような、麗しさとしなやかな強さがあります。
実際にローズ精油には、 呼吸を緩やかにして心拍を落ち着かせ、自律神経を整える作用、 気持ちの落ち込みに寄り添い引き上げる作用、
乾燥から肌を守り夏の疲れが残る肌を整える作用、 呼吸や体温を穏やかに整え安眠へと誘う作用などがあると言われます。
夏のざわめきが遠のき、季節が静けさへ向かうこの頃に、 華やかさだけではなく、しっかりとした恒常的な底力を持って寄り添ってくれる精油です。
ディフューザーやアロマストーンなどを使った芳香浴がお勧めです。 また、ホホバオイルなどに他の精油とブレンドして0.3~0.5%で希釈してスキンケアに使うのも心地よく、
その際のお勧めはゼラニウム精油とのブレンド。香りも作用も相性が良く、使いやすい組み合わせです。ローズ――花の女王と言われるバラ。
花房を誇らしげに凛と立つ姿、さまざまな顔立ちで群れて咲く花々の気品あふれる姿。 いずれもその凛々しさと清々しさは、その名に値するものです。
その姿と香りに強く惹かれるのは、小さい頃からの記憶のせいかもしれません。 母は園芸が好きで、多種多色のバラを庭で育てていました。
愛おしそうに水やりをし、季節ごとの手入れをし、剪定や脇芽を取る時には枝に声を掛け、 花の季節になれば、たわわに咲いた花房を玄関に飾り、母自身も誇らしげに微笑んでいました。
そして私は、帰宅のドアを開けた瞬間に放たれるバラの香りで季節を知るのでした。

この精油にしっかり向き合ったのは、アロマセラピーの授業で実際に精油を使い始めた頃。 バラの精油を使う時をとても楽しみにしていました。
初めての印象は、なんとも不思議。 「これが楽しみにしていたローズの香り?」と思うような、試香紙にほんの一滴たらされたその香りは複雑で、 最初は少しだけ不快さをも感じるような香りでした。
でも、そのあとの数秒で香りは魔法がかかったように形を変え、爽やかな香り、甘い香り、 少し重い森のような香りへと変化し、それらが複雑に絡み合い、その瞬間に確かなバラの香りを知ったのです。
実はローズ精油の香りの成分は数千種類と言われ、 最新の情報では5000種以上の成分から構成されるという報告もあります。
それぞれの成分は微量ですが、膨大な香り成分の重なりが醸し出す賜物で、 「麗しく、同時に力強さがある」と感じる所以なのです。
さて、バラと言っても世界には3万種以上の品種が存在すると言われています。 でも、その中で精油が抽出されるのはほぼ2種類。
ダマスクローズ(Rosa damascena/原産地:イラン~中央アジアの自然交雑種) センチフォリアローズ(Rosa centifolia/原産地:オランダで育種された交雑種) この2種類だけなのです。
バラの香りの歴史は古く、紀元前3000年の古代エジプトではすでに人々に愛され、 クレオパトラがバラの花と香りを愛したと語られています。
古代ローマでは贅沢の象徴とされ、ペルシャやアラビアから輸入され、金や宝石と同等の価値で取引されました。
その後、皇帝や貴族の必需品となり、宴席や宗教儀式、沐浴などでバラや香油を贅沢に使い、 権力と富を誇示したのです。

当時の香油は、主にオリーブオイルにバラの花びらを浸して香りを移したものでした。 その後、蒸留技術が発達し、10世紀に水蒸気蒸留法が確立。
ローズ精油――ローズオットーが抽出されるようになります。 オイル経由の濃厚な香りに比べ、ローズそのものの清々しい香りが際立ちます。
ただ、1kgの精油を得るのに約3~5tの花びらが必要で、その希少性は高く、価値の高いものとして取引され続けています。
現在はブルガリアの「バラの谷」が世界的産地となり、高品質のローズオットーが生産されています。
明治以降、西洋香水文化の流入とともに日本でもローズ精油や香油が紹介され、 アロマセラピーの普及により一般に広まりました。
何万種類から選ばれた2種類のバラ。 さらに、その膨大な花びらから得られる貴重な精油。 そして、その一滴に抱える数千種の香り成分。
それが花の女王であるバラの花びらに潜む神髄であり、選ばれし香りなのです。
アロマテラピーの学校で書いた卒業論文は「バラの精油が語ること」。 大好きなバラの香りについて、その歴史と成分を綴ったものでした。
それから30年。今でもローズ精油は私にとって特別な存在で、 いつも使うものではありませんが、お守りのように持っている幸せを感じ、
香りを楽しむたびに、母の庭と玄関に飾られたバラを思い出すのです。
今日は久しぶりに、枕にふんわり一滴。 バラの香りに包まれてみようかと思います。
皆様はバラ精油の香りに何を思うでしょう。
そして、明日はどんな香りと出会えるでしょう。
どうぞぐっすりお休みください。
染谷雅子
注意:布に精油を直接つけると、精油の特性上シミになることがあります(特に柑橘系)。
必ず共布で確認し、シミになりそうな場合はサシェや別布から香りを移すなどの方法をとってください。

作品名:「ステンドグラス 青いバラの鏡」

作品名:「ステンドグラス 薔薇のティッシュケース」
ガラス作家・アロマセラピスト 染谷雅子
ギャラリーはなぶさ https://www.hanabusanipponya.com

